CRIME OF LOVE 2
ブラックフェイスにムーンライトシルバーのケース、品格と機能性を見事に両立させている
腕時計をはめ、 カシミアのコートを着て、細く軽いトゥルーグレーのシルクウールのストールと黒のスエードのグローブを手にする。最上階の部屋から専用のエレベーターに乗ると、地下駐車場へのボタンを押した。
車なら約束の場所にはほんの十分ほどで着く。車というのも不思議だが便利な乗り物だといつも思う。最新のナビゲーションのおかげで迷うこともないし、存在感のある美しいフォルム、快適な加速感も捨てがたい。
車を運転するためには専用の許可証が必要ということで、そのための講習を受け始めた時は多少とまどい、面倒なと思ったが、慣れれば何ということもなく手にできた。こちらが操作を間違えなければきちんと言うことをきく分、気の荒い馬をいなすよりよほど簡単だ。教習所の女教官も彼に非常に親切だった。たぶん、彼がハンドルの前で少々おおげさにため息をついていたのが効いたのだろう。
車を路上の駐車スペースに止めると、彼女に指定された、そう遠くない待ち合わせ場所まで歩きつつ、目で恋人の姿を探した。待ち合わせではたいてい彼があとに着く。元々時間には無頓着な彼だったが、それでもあまり待たせると彼女がふくれるので、約束は守るようにしている。今も定刻三分前だ。
モデル並の容姿を持つ彼には、街を行けばすぐに周囲から視線が集まってくる。女たちからは憧憬と感嘆、またはもっとあからさまな誘惑の、そして男からは嫉妬と畏怖まじりの羨望の……。だがそんな視線を向けられるのにはもう慣れた――というより、これもまた、彼にとっては昔から変わらぬ日常だ。ただこちらに来て、殺気を感じることだけはなくなった。平穏な、世界である。
彼女は遠目にもすぐに見つかった。待ち合わせ場所として利用されることの多い小さな噴水の前の雑踏の中、噴水の柵にもたれ周囲に何とはなしに視線を投げている。だが彼は少し離れた場に立ったまま、彼に気づかぬ恋人の姿をしばし堪能した。
背に流れる長い髪を少しだけ波打たせ、 ふわふわした白い襟のついた薄紫色のコート、
小さなバッグ、濃い色のブーツ。 洒落てはいるが、清楚で品のいい服装。
彼女には、多勢の中にいても何となく目を惹くものがある。源氏の神子、白龍の神子と呼ばれていた頃の峻烈な雰囲気こそないが、それでもなぜか視線を留めずにはいられない、そんな感じだ。だからふたりで歩いていてさえ声をかけられることもあるのだが、たいてい相手は彼の一瞥で退散してしまう。
眺めていると、めずらしく人からちょっかいをかけられることもないまま彼女は手首に目をやった。たぶん
腕時計を――一昨年の誕生日に何がほしいかと尋ねた時、少し遠慮がちに、共に生きる時を刻むものがほしいと言った彼女の希望に応えて彼が贈ったものを――見ている。
そして、待っている。
ただ、彼を。
……人を愛しく思う、昔はそんな感情があることすら気づかなかった。相手の存在を己よりも貴重に思い、離れたくないと希(こいねが)う。
放恣な肉体の快楽だけではなく、心も重ねてこそ感じられる深い歓びも彼女と出会って初めて知った。
彼女の虜であることが心地よく、退屈しない毎日だった。彼女に飽きることは決してないだろう。だが……。
「 知盛!」
自分を見つけてぱっと輝く笑顔が好きだった。待ち望んでいた者にようやく出会えた時に見せる、はじけるような喜びの表情。
彼がつい望美を待たせてしまうのは、その顔が見たいからだと言ったら怒られてしまうだろうか。それでなくても「いつも私ばっかり待たされて」と、不満そうなのに。けれどそのあとで、「でも私、向こうからあなたが私のところにやって来るのを見るのが好きだよ」とも言ってくれるのだが。
知盛は気づいた証に片手を軽く上げた。彼が行くのを待たずに、彼女が軽やかに駆け寄ってくる。
だが彼が伸ばした腕をするりとかいくぐり―――と言うのも、その思うままにさせていると、衆人環視もおかまいなしに抱きしめてキスしてくるのがわかっているからだ―――しかし二の腕にしっかりと抱きついて、うれしそうに彼を見上げた。
ピンクダイヤの小さなピアスが揺れている。
「……待たせたか」
「ううん。さっき来たところ」
知盛が望美のあごを引き寄せ、首を曲げて短く口づけると、あらがいもせず、それでもこそばゆそうな顔で口だけは彼を叱った。
「もう、知盛ってば」
望美がここのところますます綺麗になったというのは、彼の贔屓目ではないだろう。単なる目鼻立ちの問題ではない。女としての艶に磨きがかかってきた。たぶんそれは恋人である彼に負うところ大だろうと、これまた当然に彼は思う。穏やかな日々の中でこそ美しく咲きほころぶ、愛らしく香り高い花。
彼女にとっては知盛が 最初の男であり――願わくは、最後の男でもありたかった。